<南風>「湯たんぽ」を届けたい


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 1月初旬の連休中、流行に遅れることなく胃腸炎にかかってしまった。久しぶりに38度を超える熱と悪心に苦しみながら、SNSの友人たちに「デトックス!」などと励まされながら3日間布団の中で過ごした。

 熱が下がるまでの間、娘がくず湯を溶いたり、お粥(かゆ)を炊いたり、さらには湯たんぽまで準備してくれて、ゆっくり休むことができた。おかげで治りも早く仕事に影響が出ずに済んだ。

 足元の湯たんぽの暖かさに安堵(あんど)していると、ふと昔のことを思い出した。確か娘が2歳の冬のことだから15年前だ。私は沖縄に来て初めて流感にかかり仕事を休んだ。40度以上の熱が出て昼夜の区別がつかなくなり、台所に立つことができず、娘のご飯を作れなくなった。このままだとまずいと思い震える手でハンドルを握り、保育園に娘を預けに行った。

 帰りに薬局に寄り、氷枕やティッシュを買って家に着くなり寝床に倒れこんでしまった。当時はファミサポもなく、母子寡婦会のヘルパー派遣も周知されておらず、ひとり親にはとても厳しい時代だった。この時、意識もうろうとなりながらも保育園の送り迎えを何とかクリアして乗り切ったが、本当につらかった。

 親族は身近におらず、当時パート勤務を始めたばかりで頼る人もいなかったので、心細さと不安でいっぱいだった。「今異変が起きて私が死んだら子どもも餓死してしまうのだな」と新聞記事の見出しが何度も頭に浮かんだ。

 しかしこの時の経験が、2年後にシングルマザーの当事者団体を立ち上げる原動のひとつとなった。子ども1人でもこんなにしんどい思いをしなければならないのだから2人、3人の家庭だったら。支援制度は紙に書いているだけでは支援にならない。必要な人に届いてこそ支援となる。そんな思いからだった。

(秋吉晴子、しんぐるまざあず・ふぉーらむ沖縄代表)