<南風>泡盛普及に尽力の二大人物


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 春になると泡盛業界はにぎやかになる気がする。いくつかの酒造所が感謝祭や蔵祭りを行い、アッチコッチで泡盛関連のイベントが増えるからだ。そんなイベントを華やかにするのが、泡盛の魅力を県内外や海外の人たちに紹介する「泡盛の女王」である。この4月にも新しい3人の「泡盛の女王」が誕生、県内外で行われる各種イベントや沖縄物産展、各地の泡盛同好会などの泡盛関連の催事に参加する。

 実はこの「泡盛の女王」を最初に企画立案したのが、「泡盛新聞」の前身「沖縄醸界飲料新聞」の編集・発行人だった故仲村征幸氏である。仲村氏は輸入ウィスキー全盛時代、「泡盛は県民の文化遺産」という編集方針で、1968年に新聞を創刊。その一方、酒造所との商品開発やイベントによる業界の活性化、「泡盛の女王」の考案などで泡盛の普及を目指した。

 泡盛の普及といえば、72年8月に那覇市栄町に「うりずん」をオープンさせた故土屋實幸さんの功績も忘れられない。長い歴史を持つ泡盛に誇りを持ち、県内すべての泡盛が味わえる店をコンセプトにしていた。当時、泡盛業界は那覇の店には首里や那覇の酒、中部には中部の酒といった不文律があったが、土屋さんは県内57カ所の酒造所を巡り、店に置いてもらうよう説得。開店から数年間は閑古鳥が鳴いていたが、やがて「うりずん」では全県下の泡盛が飲めると評判になった。

 その土屋さんの最大の理解者が仲村氏で、2人はどうすれば泡盛が市民権を得られるか、連日意見と泡盛を酌み交わし、74年に泡盛同好会(現・泡盛同好会)を設立。今でこそ、県内どこでもどの泡盛でも手に入るが、それを可能にしたのはこの2人の功績が非常に大きいのではと、泡盛業界を取材すればするほどそう思えるのである。
(嘉手川学 沖縄ふうどライター、沖縄泡盛新聞編集委員)