<南風>事もあろうに…


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 「私の仕事は英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と語り、沖縄を愛していた陶芸家浜田庄司氏は、冬の間、寒さの厳しい益子から壺屋に赴いて仕事をしていた。

 厨子甕(ずしがめ)が縁で浜田先生と交流のあった國吉清尚は、ある時栃木県益子の浜田邸に招かれた。先生は世界各地の民芸品を蒐集(しゅうしゅう)していてその膨大な蒐集品は浜田邸の陳列棟に保管されていた。一点一点出会ったエピソードなど、時を忘れて嬉(うれ)しそうに語って下さった。

 その後囲炉裏を囲み夕食もご馳走(ちそう)になり、浜田邸を後にした。帰り際、先生は「これ君にやるよ」と李朝の白磁の壺を下さった。先ほど案内された蔵の骨董品の中から選んだ25センチほどの丸壺だった。國吉が無類の骨董(こっとう)好きと知って蔵を案内し、壺まで下さったのである。一夜明け沖縄に帰る日、國吉は「この壺売ろう」と言う。「浜田先生から頂いたばかりでそんな事できないでしょ」と私。

 結局売る事に決め、東京日本橋の老舗骨董店「壷中居」に行く。店主は壺を手に取りじっくりと見回して値を付けた。するとその時扉が開き、益子にいるはずの浜田先生が現れたのである。「壺中居」は先生も親しくしている店ではあるのだが、事もあろうにである。

 我々の前にはあの白磁の壺…。一瞬の間に状況を察した先生はトレードマークのべっ甲の丸メガネと和装のいでたちで布袋様のように大笑いした。私たちは苦笑い。そしたら先生は「イヤイヤ気にする事無いよ。君にやったのだからそれは君の物、どうしようと君の自由だよ」と言い、また笑った。國吉も笑った。

 目利き同士の言葉を交わさない納得し合ったやり取りが、その笑い声の中から聞こえてきた。1971年ごろの事だった。

 先生は、沖縄そばとピザハウスのピザが大好きだったなあ。
(國吉安子 陶芸家、「陶庵」代表)