<南風>しょうがないという言葉


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 療養所に足を運び始めて20年が過ぎた。最近改めて振り返る機会もあったので、自己紹介も兼ねて初回はそのことを。

 1996年夏。私、17歳、高校3年生。学校の保健の先生が、岡山県の療養所の学校で学んだつながりから、うちの高校では療養所を訪れるスタディーツアーがあった。高校3年生、最後だし行ってみるかという何とも意思のはっきりしない選択。その選択が人生を大きく変えることとなる。

 事前学習でビデオは見たが、過去にハンセン病を患った人たちを縛ってきた「らい予防法」がその年に廃止された意味も全く分かっていなかったと改めて思う。

 療養所では、園で暮らす人の家を訪ねる機会があった。迎えてくれたのは梅元照夫さんとやえ子さん。出されたお菓子や飲み物をいただきながら、どのような話の流れか忘れたが、園内に掲示されている宗教団体の謝罪文を見て感想を聞かせてほしいと言われた。

 掲示されていた謝罪文は、病気を患った人に対して、療養所で暮らすことがその人にも周囲の人々にとっても幸せになるのだと説いたこと、本来ならば命をまもるべき宗教が国の政策を助け、命を排除したことに対する謝罪だった。

 その謝罪文を見て、私が照夫さんに話したのは、しょうがなかったのではないかという内容だ。病気を患ったことで、差別を受け、様々なことを奪われた人に対する想像力のかけらもない冷たい言葉だ。

 照夫さんは、静かにしかし、はっきりと私に告げた。「そこで生きてきた人たちがいる」と。その言葉が、他人事ではない、自分につながることとしてハンセン病問題を結び付けてくれた。

 ハンセン病問題から平和や人権、命についてみなさんと考えていきたいと思います。半年間お付き合いよろしくお願いします。
(辻央、沖縄愛楽園交流会館学芸員)