<南風>「欲望」を見詰める


社会
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 ゲイである私にとって、たいへん気になる言葉があります。

 「ゲイをゲイたらしめる究極はまさにその性生活なのである」

 1984年、ニューヨークで上映された映画『バーディース』のアーサー・J・ブレサン監督の発言です。当時、猛威を振るったAIDSを描いた作品のテーマでした。性生活をとってしまえば自己規定はできない。性生活がゲイを他のすべての人から分けている、と語りました。

 数ある欲望のうちでも性欲は人から虚飾を剝ぎ取り、ソロバン勘定を忘却させ、ひたすら相互に奉仕しあうことで目的を達成します。であればこそ、人と人を結合する大事な行為となるのでしょう。

 人々は誰かにだまされてコンドームを着用しないセックスをしたあげくにHIVに感染し、AIDSを発症するのではありません。コンドームで覆われないセックスを欲望してリスクを背負うのです。欲望のなかにある非合理に手を伸ばすことを知覚しながらも、あえて危険を冒します。「欲望恐るべし」であり、逆に「欲望は力なり」です。

 数年前から「LGBT市場」という用語が目につき始めました。経済市場がLGBTに注目したということは「欲望に力あり」と認識したからでしょう。今の段階ではLGBTを支援する企業としての好感度イメージを広報する控えめなアプローチですが、私には次の幕が上がる序盤に過ぎないように見えます。欲望を寝室に留(とど)めるのではなく、市場の「見えざる手」による運行軌道に乗せる戦略を準備しているはずです。従って対する主体的な「欲望」を発掘する視点が求められることでしょう。

 私の個人的体験と取材をもとにいささかの私見を述べさせていただいたコラムの最終回にあたり、ご愛読を心から感謝申し上げます。
(南定四郎、LGBTQフォーラム2018実行委員長)