コラム「南風」 律子さんへ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「律子が死んだ」
 聞いた瞬間、取材中だったにもかかわらずマイクを握ったまま言葉がでなかった。戸惑う私に、宮森630会の豊濱会長は話を続けた。「ちょうど2週間前に亡くなったよ。最後までよく頑張っていた」。さっきまで気にならなかった事務所の古時計の秒針がやけに大きく聞こえた。

 去年の夏、“宮森小学校ジェット機墜落事故”の報道特番のため、私はうるま市石川にある宮森630会の事務所を訪ねた。豊濱会長は宮森小学校の巡回教師だった。そして事故当時は遺体安置所の担当となり、変わり果てた児童の遺体を親へ引き渡した。「目も鼻も耳も性器もない遺体を見て、どの親も自分の子とは認めなかったよ」。当時のことを思い出しながら話す豊浜会長はとても息苦しそうだった。そして、会長から事故で妹を亡くした久高律子さんを紹介してもらった。
 律子さんと初めて会った日は日差しが強い夏日だった。けれど律子さんはセーターにニット帽姿で事務所に現れた。気にはなったが、聞いていいものかわからず、そのまま取材を始めるとその理由がすぐにわかった。「私、数年前にがんを患って、いつまで生きられるかわからない。でも、生かされている間は妹のことを伝えないときっと後悔すると思って」。律子さんの弱々しい身体から語られる事故の記憶はあまりに重く、未熟だった私は受け止めることができず、号泣し何度か録音機を止めてしまった。それから二人で泣きながら机を挟み向かい合い、何とかインタビューを続けた。

 律子さんへ
 つらい体験を話してくれてありがとうございました。あなたと妹・徳子さんがいる沖縄の空が早く平和になるよう頑張るのでそこから見守っていて下さい。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(伊波紗友里、ラジオ沖縄アナウンサー兼記者)