コラム「南風」 宝探し


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 お芝居を上演するに当たって、時々やることがある。物語の舞台となった場所を訪ねることである。
 名作歌劇「伊江島ハンドー小」の、主人公ハンドー小が自らの命を絶つ場面で、死ぬ前に上手に向かって手を合わせるという演技がある。理由もよく分からないまま演じた後に、舞台となった伊江島の城山に登ってみて驚いた。舞台上で手を合わせる方向には、主人公の故郷辺土名が見えるのである。

 教わった通りに演じるだけでも十分だと思われるかもしれない。しかし、上手の方向には故郷があるのだと知って演じるのと知らないで演じるのとでは大きく違った。この発見は、私の宝物である。
 以来、よく宝物を探しに出掛けるようになった。元の風景は失われ、すっかり現代になじんでしまった場所もある。それでも、現場の空気を吸うことでしか得られないものがある。
 先日の宝探しは、首里平良町。「茶売や」という初期短編歌劇の舞台となった町である。田舎の男たちがガジマルの木陰で茶を売る美人を前にして鼻の下をのばす、という物語。6月29・30日に国立劇場おきなわで上演する「泊阿嘉」の前狂言として披露する。恐れ多くも演出を担当しているが、劇中のガジマルが実在していたことを知り平良町を訪ねたところ、親切な地元の方のガイドつきで出演者と共に宝探しをすることができた。
 ガジマルがあった場所が急坂になっていることや、「昔の国道」と言われるほど主要な道路でなかなかの都会であったことなどを知り、アイデアが次々に湧く。知らなくても上演はできる。しかし、知れば虚構の世界に現実味が生まれ、説得力のある芝居になる。
 ごく短く他愛(たあい)もない話だと思っていた作品が、イキイキとした世界観に彩られていく。これだから宝探しはやめられない。
(伊良波さゆき、役者)