コラム「南風」 三線の重みを感じて

 三線を始めたのは小学3年生。沖縄では、唄と三線は切り離せないものなので、八重山民謡を習い始めたという方が正確ですね。

 当時、周りに民謡をやる友人はほとんどいなかったので、コンクールで合格し新聞に載ると、先生をはじめ同級生は驚いた様子でした。ただ、関心を引いていたのは新聞に載ったことで、民謡には興味すら示さず、私自身もどこか堂々と言えない気恥ずかしさのようなものを感じていました。それだけ当時の若者にとって、三線は身近なものではなかったと言えます。
 その環境が一転したのは、大学の頃。成人祝いの二次会で何げなく三線を触っていると、隣にいた友人が『島人の宝』を弾けるかと聞いてきました。爪弾くと、びっくりしたことに「かっこいい!弾き方を教えて」と言われたのです。
 話を聞けば、本土では沖縄出身と言うと、必ず「弾いて」とせがまれるのだとか。その頃、NHKでは昨今の沖縄ブームの火付け役となった連続テレビ小説『ちゅらさん』の話題で持ちきり。また、夏川りみさんの『涙そうそう』やビギンの『於茂登岳男』の出現から沖縄音楽の新しい時代が始まり、三線は「かっこいい」ものに変わっていきました。
 時代の移ろいに戸惑いを感じながらも、自分がやってきたことが認められたような気がして嬉(うれ)しく、郷土の文化に携わる者は強いと自慢げに思ったりもしました。そして、地元を離れるとそれが大きな武器になると知った瞬間でもありました。
 今では、民謡だけでなく多くのジャンルの曲に使われている三線。その音色は曲の世界観を一気に変えてしまう力を持っています。だからこそ、沖縄の人々は唄と三線の音が鳴るだけで立って踊りだすほどチムワサワサ~するのでしょう。
 民謡スタイルを通している私は今、三線一本の重みをじわじわと感じています。
(鳩間可奈子、沖縄民謡歌手)