コラム「南風」 ソング・キングを求めて


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ネーネーズのCDアルバム『贈りもの』の中に『アイラブ・ソング・キング』という歌がある。これは、島唄の神様と謳(うた)われる嘉手苅林昌へ捧(ささ)げたとされているが、聴くと、民謡が人々の生活を支えていた時代の面影を見ることができる。

 戦後、これ以上失うものはないというほどに全てを失ったうちなーんちゅは、驚くべき精神力で怒涛(どとう)の復興を遂げたという。その中心にあったのが歌。歌を聴き、命の輝きを取り戻したという話は不謹慎ながらも魂が震えるほど感動してしまう。その中で三線を弾ける者はどれだけ大きな存在だろうか。また、毛遊びがあった時代、唄のうまい人はもて、三線が弾ける者は雰囲気作りとして最後まで取り残されたという笑い話も聞くが、生音だけの時代には表向きは別としても、きっと貴重な存在だったと思う。
 「(歌詞)悲しい涙も楽しい笑いもくれたソングキング」。そんな風に日々の山河を歌とともに歩んできた人々は、おそらくそれぞれ自分の中にソングキングを持っていたのではないか。
 この歌を聴くと、日頃私が歌う民謡の風景にそんな暮らしが想像されて、どこか温かく懐かしい気持ちになる。時代は移り変わり、情報過多の中、沖縄音楽もここ10年でだいぶ変わったのではないかと思うが、それでもまだ民謡を大事に歌い続ける人はたくさんいる。私の周りにも将来が楽しみな子は大勢いて、私も頑張らなければと背中を押されるが、目標となる存在がしっかりといることこそが今後の沖縄民謡をしっかりと受け継いでいくためにも必要だ。
 第一線にいた登川誠仁も亡くなられ、民謡界が少し不安である。唄と三線一本で出てくるあの世界を、先輩方は後ろにいる私たちに惜しみなく聴かせてほしい。
 これで最終回です。読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
(鳩間可奈子、沖縄民謡歌手)