コラム「南風」 日の出


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 私たちは戦争を知らない。お婆(ばあ)ちゃんや、両親から悲惨な戦争の体験を幾度となく語り継がれて来た。それでも、私が子供のころには、家の側の坂道では、銃を持つ兵隊たちが先頭の戦車に並んで、裏山へと訓練をするためによく行き来していた。

日々の実弾演習は、住人たちが怒りおびえるほどけたたましく、山の演習場は、飛び交う弾の光、照明弾、大砲の音、そして山火事。「頭下げてっ、静かにしてよ」。お婆ちゃんの声が今も記憶に残る。
 幼少時代は、ほとんどお婆ちゃんと一緒に過ごしていた。学校から帰ると、キッチンの方から流れるラジオの音。お婆ちゃんが、民謡番組を聴きながら「おかえりー」とまん丸いチャーミングな笑顔で踊りながら出迎えてくれた。夜寝る時も一緒で、お爺(じい)ちゃんの写真を眺めては、「会いたくても会えないさ…」と静かに呟(つぶや)くお婆ちゃんの声。
 戦争は何もかも全て奪った。過酷な思いを背負い生きてこられた人たちが必死な努力を経て、乗り越えて築き上げて来た「沖縄」がある。米軍基地問題を背景に「平和の尊さ」「無念の叫び」「命の尊さ」と今も隣り合わせで生きている。
 一冊の資料を手に取り、ちゃんと知らないお爺ちゃんの顔と名前を探した。資料は、「金武町伊芸区戦没者慰霊碑建立記念誌・平和の祈り」。伊芸区の委員会によって発刊された。私の父も編集委員代表として悲惨な戦争体験を語り継ぐ務めを果たしている。
 あるページに目が止まった。戦没者名と遺族の経緯が記されている。お爺ちゃんの写真のところに、お婆ちゃんと私の父、父の兄弟の名前。涙が溢(あふ)れて止まらなかった。「生命やかふかに優るぐとねさみ」。記念誌の中の歌碑「平和の祈り」の詩の一部。作詞文筆「父」。お婆ちゃんの歌声が聞こえてくるよう。「命に優るものはない」と―。
(安富祖貴子、ジャズ歌手)