コラム「南風」 沈黙を受け止めて


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 平和教育者であり、辺野古の新基地建設阻止運動の中心的役割を担ってきた大西照雄さんが、19日亡くなったとの報せを受けました。沖縄で、私にとってのメンター(恩師)と思う方々の中でも、大西さんは最初の人でした。

2006年バンクーバーで開催された「世界平和フォーラム」で、憲法9条についての会議のパネルに私は地元9条の会代表で参加しましたが、最後、大西さんは発言されるため立ちました。時間がないため「1分で」と言われた大西さんは「沖縄のことは1分では話せない」と発言拒否し、座り直しました。
 その後、自分が遅まきながらも沖縄を学ぶようになった原点にはこの大西さんとの束の間の出会いがあります。振り返ると、その後の自分がたどったのは、あの沈黙から受け取ったもの、あのとき大西さんが言おうとしていた言葉を見つけ出すための道のりだったような気がします。あのとき、私たちが話し過ぎて大西さんの時間を奪ったことは、9条と安保の矛盾を沖縄に押し付けながら「平和」を装う日本の罪を、まさに象徴していたと思います。
 大西さんの死を、私のもう一人のメンターである石原昌家さんは「新基地建設推進の動きに殺されたようなもの」と言いました。2009年末、辺野古の座り込みテントを訪れたとき、懇切丁寧に講義してくれた当山栄さんもその一年後に亡くなりました。退職後ゆっくり過ごすこともなく、抵抗に身を投じて死んでいく人たちをこれ以上増やしてはなりません。
 半年間お付き合いいただきありがとうございました。私のコラムが検閲や逮捕や拷問に結び付かなかったのも、そして来る参院選に女性の私が投票に行けるのも、現憲法のおかげです。大西さんを含め、戦争と軍事主義に命を奪われ、投票もできない人たちの思いを後押しに、一票を投じてきます。
(乗松聡子、ピース・フィロソフィーセンター代表)