コラム「南風」 「三つの貧困」


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 若者支援の大先輩が、貧困には「経済的」「文化的」「社会的」の三つの側面があると話していた。私の分野でいくとこうだ。「米を買うお金がない」=経済的貧困、「米を炊くことを知らない」=文化的貧困、「米を買いに行くことができない」=社会的貧困。
 生活保護世帯の不登校児童の居場所「Kukulu」に、ある男子児童が見学に来た。

私からのお決まりの質問「好き嫌いやアレルギーはある?」の問いには、母親から「米よりパンが好きです」の一言。その時は、まあ最近はこんな子もいるだろうと軽く思っていたのだが、どうも現実はそう簡単なことではないことが分かってきた。
 まず第一に、彼の生活は昼夜逆転しており、家族と一緒にごはんを食べることがほぼなかった。そのため、自分が食べたい時に簡単に作れるパンやインスタント食が中心になってしまうことが想像できる。第二に、食についての正しい情報を誰も持っていなかった。ある日、1日に何リットルも飲むジュースが原因で、病院から糖質に気をつけるよう指導されたという。しかしその解決策として彼が選択したのは、ジュースをやめずに米食をやめるということだった。そして第三に、そもそも家庭で米を炊く習慣がないということ。居場所には彼の妹も通所しているのだが、彼女も同じく米が苦手だと話す。しかし、居場所での昼食は何でも食べており、それに対して質問をすると「食べたことがなかった」と答える。苦手なのではなく、食べたことがない、知らないだけなのだ。
 貧困とは経済的な状態のみを連想しがちであるが、実はこの文化的と社会的貧困からの脱却がとても困難なことに気付かされた一例である。普段当たり前にごはんを食べられる背景には、お金だけでなく然(しか)るべき教育が結びついている。
(今木ともこ、NPO法人沖縄青少年自立支援センターちゅらゆい フードプロデューサー)