コラム「南風」 つかみどころのある沖縄に


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 先日南灯寮祭が無事終了しました。商店街や駅前広場でのエイサーで始まり、県物産品販売、沖縄そば中心の食事提供、そして寮OBや友人との交流会で終了します。物産品は県内企業からのご寄贈、運営資金も大半は東京支社や県関係団体などからのご寄付によるものです。皆さまの温かいご支援があってこその寮祭です。感謝を申し上げます。

寄稿が始まると、南灯寮草創記会事務局からお便りと寮生への差し入れ、そして記念誌「南灯寮草創記」のご提供があり、私自身も南灯寮の歴史について理解を深めることができました。
 昭和22年開寮の南灯寮もことしで67年が経過します。財政的な運営難や建物の老朽化など幾多の困難を克服していく中で、県知事をはじめとして、沖縄県の政界、行政、教育、経済界などに多くの人材が輩出していきました。時の流れとともに、社会に必要とされることや人々の価値観は変わっていきます。しかし、大志を抱く県出身の若者が学び生活する場としての南灯寮の価値は不変のままだと思っています。
 郷土の詩人山之口貘の作品に「正月と島」という詩があります。「日本みたいでそうでもないみたいな、アメリカみたいでそうでもないみたいな、つかみどころのない島なのだ」。1958年の作だそうです。あれから56年、山之口貘が憂えた沖縄の状況は変わったのでしょうか。新知事も誕生し、沖縄の新しい歩みが始まろうとしています。若い皆さんが原動力となり「つかみどころのある沖縄」が実現することを期待します。
 終わりに、「現役時代は多忙で病気になるが、退職後は暇で病気になる」(渡辺淳一「老い方レッスン」)。老い方のレッスンなど誰が受けるものかとは思いますが、現役の皆さまも、退職されたわが仲間の皆さまも病気になどならぬよう気をつけましょう。
(大山清、沖縄県県外学生寮南灯寮寮監)