コラム「南風」 猫と尖閣諸島


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 振り返った時、ある出会いがその後の人生の方向を変えたのだと気付くことがあります。1992年に沖縄コンベンションセンターで澤村誠志先生と初めて会いました。その半年前に那覇市役所の産業医相談室に元琉球大学学長の高良鉄夫先生ら脳卒中患者・家族会の皆さんが私を訪ねてきて、リハビリセンターを設置したいので協力してほしいと依頼されました。高良先生が澤村先生と私を会わせたいと考えたのです。

 その年はアジア障害者年沖縄NGOキャンペーンということでアジアの障害者関係者が集い澤村先生も国際義肢装具連盟副会長として参加したのです。兵庫県立総合リハビリテーションセンター長でもあり公務職にありながら世界の障害者のために活動されている先生の姿に感銘を受けました。先生や患者・家族会のご支援もあり沖縄リハビリテーションセンター病院を96年に開院することができたのです。
 2001年に全国リハビリテーション・ケア大会が沖縄で開催されたときに「アジアのリハビリテーション」というシンポジウムを企画しアジア各国の関係者と澤村先生に議論していただきました。アジアには少なくても数十万人の子どもたちが手足がなくアジア義肢装具センターが必要だと澤村先生が提唱していました。「アジア・リハビリテーションの船」を沖縄から出航させたいとの私の夢もその後から生まれ、精神科医からリハビリテーション医への転機になりました。縁を結んでいただいた高良先生はことし5月に百寿の天命を全うされました。動物学者として尖閣諸島に5回も渡り調査をされ、「沖縄の秘境を探る」(琉球新報社、1980年)を出版しました。久場島(黄尾島)に放された猫の2匹が繁殖したんだよと先生が子どものような楽しそうなお顔で話されたことを思い出します。
(宮里好一、タピックグループ代表)