コラム「南風」 懐かしいサーターナービ


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 製糖期になるとサーターナービの外側に付く「サーターハラガー」が懐かしく思われる。
 新春になると、製糖期のシーズンが始まる。砂糖は沖縄の基幹農産物の一つである。昔は各村々に製糖工場があり甘酢っぱい砂糖の汁の香りが風に吹かれて漂ってくる。新しい黒サターの香りと味は懐かしい故郷を彷彿(ほうふつ)させてくれる。

農家では寒の中で牛や馬を走らせてキビをしぼっていた。大人たちは手際よくキビを機会にさしこんだ、子どもたちは交互に牛や馬の尻を叩いて早く走らさせるのが仕事だった。私は細長い竹で牛や馬の尻を叩いて楽しんでいた。キビの汁は横に供えられた大きな「サーターナービ」に入れられ、水分を蒸発させるために火で温められる。砂糖は次第に固くなり、「ナービ」の上側に付いている「ハラガー」は子どもたちの好物だった。
 「サーターハラガー」は「ナービヌフチ」とも呼ばれている。砂糖が固まらない液状の状態を「サーターアミ」と言ってそれも皆の好物であった。砂糖が製品として市場へ出荷されるときには砂糖を樽(たる)に詰めて町へ馬車で運んでいた。黒砂糖が欲しいために子どもたちは馬車の後方の樽を馬主にきずかれないように釘(くぎ)で穴を開け砂糖を食べたものである。そのことを「砂糖クジヤー」と言っていた。悪意のない子どもたちの遊びの一つでもあった。
 黒糖はうちなーんちゅにとって大変貴重なものであった。例えば沖縄から本土へ行くときには必ず黒糖を持たせていた、なぜなら疲れたときには「サーターを口にして」元気だしなさいと。また戦争中おじー、おばーたちは黒糖をタオルに包んで懐の中に入れて持ち歩いていた。おなかがすいたときには黒糖を口にして空腹をしのいだ。サーターナービはいろいろなエピソードを含み、黒糖は元気の源泉とも言えるだろう。
(座間味宗治、沖縄語普及協議会副会長・臨床心理士)