コラム「南風」 時間の流れ


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 私が研究留学のためベトナムに住みだした際、当初の計画は1年間であった。1年が2年になり、2年が3年になり…7年が過ぎた。なぜそうなったのか、自問することがよくある。食、言語、人々、生活、答えは幾つもある。

 しかしながら、どこの社会においてもそうであろうが、良いことばかりではなかった。盗難には何度あったか分からない。バッグごとなくなり、盗難届を警察署に出しに行くと、賄賂を要求されたり、商店やタクシーの金銭の支払いに至っては、何度揉(も)めたかすら覚えておらず、その度に怒り狂っていた。高価な時計を身に着け、レザーのかばんを持ち、携帯電話で話しながら足早に歩く、嫌みな外国人であった私は、彼らにとって格好の餌食だったのである。
 ある時から、なぜ彼らがそうするのかその背景を考えるようになり、肩の力が抜けた。それは、繰り返された戦争という歴史的背景や、外国人価格という残存する古いシステムによるものもある。しかし、何よりも、私はここに滞在させてもらっていることを忘れてはならず、日本の常識など、この国では常識ではないということを肝に銘じた。同時に、日本のように安全で、豊かで、この上なく便利な国などなく、むしろ日本が特殊なのだと思い知った。
 このベトナムの社会は、何事も一筋縄ではいかない。それを分かったうえで、彼らの目線で、同じ時間(とき)の流れに乗り、同じコメを食べ、彼らの言語で語らう。それができるようになったときは、もうこの国の虜(とりこ)である。
 最近、日本語が「上手ですね」と言われることがしばしばある。またか、と思いつつも、しめたとほくそ笑んでいる自分がいる。緩やかに、少しずつではあるが、彼らに同じ住民として受け入れてもらえるようになってきたのかもしれない。
(金城れい子、民間企業ベトナム事務所勤務)