コラム「南風」 忘れない


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 「忘れないでほしい」。何度もこの言葉を耳にしてきました。3月11日、もうすぐ東日本大震災から4年が経(た)とうとしています。2011年4月20日、震災後初めて訪れたのは宮城県名取市・閖上(ゆりあげ)地区。漁業で有名なこの街は震災の津波によってとても大きな被害を受けました。

 私が初めて見た閖上は、ここに家々が立ち並んでいたとは思えない状況で、痛々しい津波の爪痕に私はただ立ち尽くすことしかできませんでした。何カ所か訪問させていただいた避難所で、とても印象に残った出来事があります。それは、見ず知らずの私に対して初対面の子どもたちが抱きついてきたことです。
 「あぁ、東北の子どもたちはとても人懐っこいのだな」。当時はそんな風に思っていました。今になって分かるのは、あの時子どもたちは“大人”に対して安心感を求め、小さな身体で不安と闘いながらこちらを頼ってきていたのだと。昼間は笑顔で接していた子どもたちも夜眠りにつくとうなされたり泣き出す子も多くいたようです。少しずつ復興が進む中で、月日が経つごとに被災者の方々から耳にするようになった「忘れないでほしい」という言葉。
 その言葉の意味を私はずっと模索し続けてきました。そして津波の被害を受け閉校になってしまった閖上中学校の校庭でその答えにたどり着きました。
 献花や折り鶴の中に置かれた勉強机。その上には津波によって命を落とした14人の生徒の名前と共に、こんなメッセージが記されていました。「たくさんの人たちの命が今もここにあることを忘れないでほしい。生き残った私たちにできることを考えます」
 もうすぐ4年。まだ4年。“この街と深く長く付き合っていきたい”。閖上の街に誓ったあの日の思いを忘れません。私は私にできることを。
(しおり、シンガー・ソングライター)