コラム「南風」 金城刑事


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 金城刑事は私が子どもの頃、石垣の八重山警察署に長年勤務していた怖い少年係のことである。金城刑事の風貌は中肉中背、がっちりしていて、眉はゲジゲジ毛虫のように太く、目は桃林寺の仁王のようにぎょろりとしてとても怖かった。

 当時私は石垣市の登野城四町内に住んでいた。前の三町内は糸満移民の人が、上の五町内は農業の在住の人が、東の七町内には主に宮古からの移民の人々が住んでいて子どもの八重山共和国の様であった。それぞれの町内ではガキ大将がいて仕切っていた。そこの町内の子どものその頃の遊び場は広場のある天川御嶽や測候所等であった。
 当時の男の子の遊びは、べー玉(ラムネ)、パッチン(メンコ)、ゴムなどであった。べー玉は土の地面でやるが、パッチン、ゴムはコンクリートの土台のある建物の犬走りなどが格好の場所であった。私たちは遠征して大川の公設市場によく遊びに行った。そこは繁華街で市内の子どもたちが遊びに来て、パッチンやゴムなどの遊びをしていた。その公設市場には私たちの登野城小生のみならず、ライバルの石垣小生も大勢遊びに来ていた。時折、仲間でけんかがあったり、夕方遅くまで遊んでいると誰かが「金城刑事だ!」と叫ぶと、子どもは蜘蛛(くも)の子を散らすように一目散に逃げ出したものである。他方、金城刑事は地道に、問題を起こしそうな子どもの家庭訪問をして親に子どものことを伝えたり、親に子育てのアドバイスをして回っていたとか、人情にもろいところもあった。おかげで悪い道に走らずに済んだなどの事を多々聴いている。現在でも私の世代の仲間に尋ねるとよく覚えている者が多い。
 悪には敢然と厳しく、人情的には優しい、子どもから慕われる金城刑事は、古き良き時代の私たち子どものヒーローのような人であった。
(宮城和博、弁護士)