コラム「南風」 甲子園―日大三VS興南


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 生まれて初めて甲子園に行くことになった。2010年3月。妻の甥(おい)畔上(あぜがみ)翔が、日大三高の野球部へ進み、西東京代表として甲子園へ出場が決まった。なんと決勝戦は日大三高と沖縄の興南高校が対戦することになった。僕も仕事の都合をつけて甲子園へ行くことにした。

妻の後を追って那覇空港からJTAの特別便で神戸空港へ向かった。何人もの沖縄の知り合いがいた。
 当然興南の応援の人たちばかりである。そんな中、当初僕は甥が日大三高の選手でなどと言っていたが、途中からその話もできない雰囲気になってきた。しまいには「興南の応援でしょ」と言われウンウンとうなずくしかなかった。あこがれの甲子園は緑色のイメージである。そこに妻の実家の鳥取・倉吉やはたまた東京、沖縄から親戚が約20人集まって日大三高の一塁側応援席に陣取って応援した。三塁側には沖縄の興南の応援団が陣取っていた。すると倉吉のオジさんが「宮城君、三塁側に行ってもいいよ」と言われたが僕はここでいいですと答えた。試合は両者とも譲らず、延長戦へと進んだ。三塁側から耳なれたハイサイオジサンの音楽が流れて来た時、僕の足は無意識にそのリズムで調子をとっていた。周囲の親戚もそれを見て思わずふき出し大笑いとなった。
 その年興南は春夏連覇の偉業を成し遂げた。島袋君は中央大学からソフトバンクに入団した。また、日大三高も畔上翔がキャプテンとなり翌11年の夏の甲子園で10年ぶりの優勝を成し遂げた。畔上翔は法政大学へ進んだ。他のチームメイトも東京六大学(東大を除く)へ進み、キャプテンを務めたりして活躍している。
 今年の春は糸満高校が沖縄代表となった。春の甲子園に沖縄旋風を巻き起こしてほしい。甲子園での高校球児のはつらつとしたプレーは日本全国に夢と希望と元気を与えてくれる。
(宮城和博、弁護士)