コラム「南風」 我が師の恩


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 卒業の季節。大学を卒業してから、何回目の春か数えると冷や汗が…。
 私がアナウンサーを目指したきっかけは、法政大学でお世話になった相良匡俊教授との出会いにあります。一年生でまだ将来について曖昧だった私に、「君、アナウンサーになりなさい」と道を示してくださいました。それから先生の指導を受けながら、マスコミ講座に通ったり、テレビ局のアルバイトをしたり。しかし当時の私は人前に出るということについてピンと来ず、結局、卒業後は他の職業に就きました。

 再びアナウンサーを志そうと思った時、先生だけにその意志を伝えました。「大丈夫、必ずいける」と背中を押してくださったからこそ、いま私はここにいると思います。最後にお会いしたのは、病室でした。先生はもうベッドから起き上がることはできず、だいぶ痩せたことが分かりました。私は奥さまから差し出されたゼリーを食べながら、仕事の話や、ゼミ生の近況を報告したのですが、内容はあまり覚えていません。甘く柔らかいはずのゼリーが、ずっしりと重く苦く感じました。2カ月後、先生は亡くなりました。「何も恩返しができなかった。一人前になった姿もまだ見せられていないのに」。同じ相良ゼミで学んだ親友が電話口で泣いていました。その年の冬、親友とお墓参りをしました。富士山の麓の広い霊園。雪が積もっていて、先生の洗礼名が刻まれた墓石が、寒そうに佇(たたず)んでいました。後日、先生の奥さまから手紙が届きました。「お墓参りに行ってくれてありがとう。でも主人はあなたたちの心の中にいますよ。私はいつも彼に話しかけています」
 仰げば尊し、我(わ)が師の恩。最近の卒業式では歌われなくなったというこの歌詞を、空に投げかけてみると、「元気で!おしゃれであれ!」。先生の口癖が聞こえてきそうです。
(金城わか菜、沖縄テレビ放送アナウンサー)