コラム「南風」 旅立ちの季節に


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 今年も卒業式の季節が巡ってきた。卒業する学生を送り出したキャンパスには、しばらくすると若々しさにあふれた新入生が闊歩(かっぽ)するようになる。

 そんな中、大学生の学力低下が話題になって久しい。しかし、私自身は学力低下ではなく、大学で学ぶ根本的な姿勢の問題だと思っている。
 私の研究室は野外調査の機会が多いこともあり、すべての作業は必ず予定時間の10分前に始められるようにする決まりがある。今のところ、これを守れない学生はほとんどいない。その理由は学生たちに「具体的な行動の指針」を示しているためと考えられる。
 ところが、研究論文の作成など、抽象的な次元の行動では、こちらの指示や思惑とは異なる作業や論理構築を行ってくる学生がやたらと多くなる。
 研究論文の作成は大学で学んだことの集大成である。その準備のために、授業では各学生が関心をもつ課題に関係する先行論文や報告書を紹介し、その内容を読み込んでリポートしてもらう機会を設けている。
 にもかかわらず、予想とはかけ離れた作業や論理が出てくるのは、目の前の情報でさえ、自分の判断では取捨選択できない学生が増えていることによる。
 すなわち、論文の作成に用いる資料やこれを論理化する手法について、事細かに指導しなければ、研究論文が書けないのである。
 1950年代に生まれたわれわれは、言ってみれば「放し飼いの世代」だった。これに対し、今の学生たちは「管理の世代」だと思われる。いわゆる「指示待ち人間たち」なのだ。
 しかし、そこから抜け出さなければ、自ら行動できる人間にはならない。大学で学んだ土台の上に、おのれの発想や能力、人格を錬成することは、社会人としての基本でもあろう。頑張れ、卒業生、新入生!
(池田栄史、琉球大学教授考古学)