コラム「南風」 家事・子育ての巻


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 料理教室は、仕事が忙しくなって、中退してしまったが、妻の忙しい時には料理することを心掛けている。
 食べたいものがあると、インターネットで検索し、作り方をなぞる。食材の買い物にも精がでるようになった。主婦よろしく30円、40円の違いにもこだわるようになった。野菜は駐車に難があっても八百屋で求めるようになった。最近トマトがやけに高くなったことにも気づいた。サラダにトマトが乗っかると、皆ほほ笑む。

 一つ一つの工程を検索しながら作るので、何せ手間取り、2、3時間もかけて作った料理に家族の反応がいまいちの場合や、逆に「意外とおいしいじゃない」と数分で、ぺろっと食べられても、等しく疲労感を味わう。それでも、料理をするようになって、やっと立派な人間になった気がする。また料理教室を続行したい。
 さて晩婚のおかげで、息子などはやっと中学校を卒業したばかりだ。子育てをとっくに終えた友人たちからは、人より20年も遅れて大変だね、と言われる。でも子どもがまだ子どもであることに幸せを感じている。
 自分の思春期と重ね合わせても、まあまあな育ちだが、もちろん親に見えないところでの悩みがあったことを思い出すと、水面下は大変なんだろうと思う。受験戦争も過熱して、それはストレスもたまるだろう。
 娘は論理的思考に長(た)けて、圧倒されてしまう。はあはあと聞き入るばかりで、頼もしさを感ずると同時に、昔のおしんのようにつつましく家事をこなす姿も見たいと思うのは欲張りか。
 文明の膨大な蓄積を詰め込む勉強法は、言わずもがな子どもたちの抽象的な能力を発達させる一方、家事をはじめとする生活の具象的な能力をどうしても後回しにするので、これをいつ補うのか、ふと不安にもなる。
 でも、ずっと料理もできなかったパパよりはましな生活をするのだろう。
(南城秀夫、通訳・作家)