コラム「南風」 ホームレスに出会う


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 1944年10月10日の大空襲、さらに45年4月からの沖縄地上戦で家族や住家を失った人々が空襲や爆弾による傷の痛みを背負いながらも逃げ隠れ命からがら本島北部地域へ避難した。人々は食糧もなく衣類もなく住居もなく生き延びるためにさ迷った。そうした人々も一時的なホームレスと呼ぶことができるのではないだろうか。その光景が今も脳裏から離れない。

 時は流れて1970年代、私はルイジアナ州ニューオリンズ在のアルコールリハビリセンターで勤務していた。そこで現在ホームレスと呼ばれている多くの人に出会う機会があった。
 彼らのほとんどがアルコールやギャンブルで自分を見失い、家族や地域社会との関係を失ってしまい、生きるための居場所を求めてさまよい究極的に医療機関へ来たのである。
 リハビリセンターで出会った多くの人「患者」が沖縄駐屯経験者であった。その中に嘉手納飛行場でパイロットとして勤務した人、陸軍将校としてライカム将校クラブに勤務した人と出会う機会が得られた。
 彼らは言った。「アメリカ兵は楽しんでアルコール類を飲んでいるのではない。日常の訓練から来る生命の危機と恐怖感を癒やすためだ」。しかし生活の居場所のない〈ホームレス〉状態について彼らは「自分の現在の暮らしぶりを後悔している」と話した。
 黄金言葉に「酔(うい)って狂(ふり)者、覚(さみ)て後悔(くーけえ)」とある。孤独感、虚しさ寂しさを癒やすために口にしたはずなのに、結果的には「ホームレス」。
 このコラムを書きながらも30年前の彼らの面影が目の前に現れて話し合いしているような心境になる。
 後悔することなく自分を見失わないために、自分の人生を豊かにするために美味(おい)しく楽しく飲みたいものです。
(座間味宗治、沖縄語普及協議会副会長・臨床心理士)