コラム「南風」 おいらはロックンローラーの巻


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 外国人に自己紹介する時には、ミスター・ニュー・オールド・ジェネレーション(新しい老人世代)だと言う。今までの老人は演歌とか歌謡曲が好みだが、僕らはロックンロールである。この文化は、外国の客もすぐに打ち解けさせる。

 思春期に歌謡曲を口ずさんだのもつかの間、米軍放送のKSBKから流れるビートルズの音に耳がぴんと張り、たちまち魔法の世界に連れて行かれたのだ。古賀政男のギター曲を上手に弾く友人に、こんな音があるよ、と教えたら彼も夢中になってしまい、2人で那覇のレコード店でビートルズのLP盤を買い求め、サウンドを聞き拾った。
 高校時代にはエレキギターが流行(はや)って、音楽の先生からにらまれつつも文化祭では、まず静かな旋律で、ピーター・ポール&マリーの反戦歌を奏でた後、それっとばかりグワーンとグループサウンドを響かせた。大学に入ると、友人はベンチャーズを専門に弾くようになり、僕は音楽とは無縁な生活を送った。
 いい中年になって、その友人に、君はギターが下手だから、歌だけでもいいと誘われて、そんじゃ、と彼の率いるバンドで歌わせてもらった。持ち歌をエルビス・プレスリー一本に絞り、沖縄のエルビスと言われて(?)カフェや祭事で歌った。胸に響くパンチもロマンスもあるステージは、内気な僕を華麗に変身させる。
 そのうち沖縄らしいロックの話を書こうと思い立ち、コザロックとイラク戦争を抱き合わせて「戦士を送る街角(ロンサム・マリーン)」を書いた。米軍には女性兵士が多くなっている。女性の身で戦場へ赴くのはいかがな心境かと思うが、やはり大変そうで、負傷や精神的後遺症を引きずる人生は悲惨である。
 その地獄への停車場で前線へ赴く兵士を送る、荒(すさ)んだロックを張り上げるのが、かっちゃんのイメージだった。
(南城秀夫、通訳・作家)