コラム「南風」 沖縄そばの温故知新


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 「沖縄そば」は、1392年に中国から渡来した、久米三十六姓が伝えた支那そばがルーツと言われています。昔は小麦粉が高価であったため、高貴な者しか食べることができない宮廷料理だったそうです。明治時代になると庶民にも手の届く食べ物になりました。

 私の会社は長年「与那原そば」を生産し、販売していますが、食品工場がない大正時代のそば屋はほとんどが店ごとの自家製麺。地名のついたそばは大正12、13年頃からで、与那原のそばは「与那原ヌすば」と呼ばれたそうです。「そば処(どころ)で有名な町だった」と老人ホームのおばあちゃんが、おっしゃっていました。
 最近、与那原駅舎展示資料館がオープンしました。そこには当時の町の風景のジオラマがあり、瓦葺(ぶ)きのそば屋も何軒か見受けられます。「昔は多くの人が那覇から汽車に乗り、広大なさとうきび畑の景色を楽しみながら『与那原ヌすば』を目指したのかもしれないな」と、思いを馳(は)せてみました。
 さて、現在、私たちはヘルシーで健康を意識したそば(麺・スープ・具材)の開発に取り組み、日夜試作しています。少し前まで沖縄は健康的な長寿県でしたが、県民の食文化は多様化し、現在は肥満率の高さからそれを見直す段階にきています。沖縄食材を取り扱う会社の代表としてこの状況を少しでも改善しようと、試行錯誤しながらヘルシー麺の開発を進めています。小麦粉に近い食感や満腹感を生み出すのは想像していた以上に困難ですが、何とか完成させ、沖縄県民に喜ばれる商品にしたいと思っています。
 近年、手間をかけた伝統料理が忘れ去られつつあるように感じます。しかし、「温故知新」と言うように、歴史を知ることで、再評価される食文化や、伝統を守りつつも新たに手を加えていくべき食文化もあるのではないでしょうか。
(佐久間健治、三倉食品代表取締役社長)