コラム「南風」 「間を制す」


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 間というものは非常に奥が深い。ビートたけしさんの著書「間抜けの構造」でも、いかに間が重要であるかが書かれています。よしもと新喜劇を好きになった一番の理由も「間の魅力」でした。同じセリフでもコンマ何秒の違いで絶妙な間が生まれ、大きな笑いへと変わる。

それは生まれ持ってのセンスなのか、はたまた勉強して培ったものなのか…。それぞれが持つ絶妙な間に魅せられ、すっかりファンになったのです。
 新喜劇はお笑いの世界ですが、これは音楽でも同じこと。これまでに拝見したライブの中で、私が心を揺さぶられた歌い手さんたちは間の使い方がうまい方々ばかり。だんだんとテンポアップするトークにのめり込み、かと思えば突然フッと時が止まったかのように間が空き、静寂の中演奏が始まっていく。知らぬ間に引き寄せられた心。そうなるともう涙なしでは聴けません。
 こんな話もあります。私の知人がご自身の講演会の中で、お客さんを笑わせようといつも使っていた決め台詞(ぜりふ)があったそうですが、ある時奥様のアドバイスで台詞を言う前に“2秒”間を空けたそうです。この2秒の差はとても大きく、いつもの何倍もの笑いが起こったのだとか。トークでも歌でも人との会話でも、相手に上手に気持ちを伝えるのには間のコントロール能力が必要不可欠なのです。
 間の達人になりたい…思い続けて数年、一つ気づいたことがあります。もしかすると間のうまさはリズム感にも繋(つな)がるのではないでしょうか。身体の中にきちんとビートが刻まれているから、間の取り方が感覚的にわかる。リズム感は運動神経と関係しているとも聞いたことがあります。それならそこから鍛え直していこう! とハリきって外に出たら、突然降り出した雨。
 間が悪いとは、このことか。
(しおり、シンガー・ソングライター)