コラム「南風」 おばあの勘違い


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 デイサービスの参加者のほとんどが戦争体験者である。その方々が「戦後70年の節目」と聞くと胸が締め付けられる思いがするという。そして互いに「戦世(いくさゆー)ぬ哀りいちが忘(わし)りゆが」と小声で話し合う。

 2012年、カジマヤー(数え97歳)を終えた、あるおばあさんと話し合った。おばあさんは「戦世のことは人前では語れない。心の痛みを胸の中にいっぱい秘めたまま死んで行った人も沢山(たくさん)いるよ。私たちはどうせ死ぬなら先祖の墓の前でと決めて、家族で墓の中に隠れて暮らしたさ」と話し出した。天気の良い日の午後、皆で墓庭に出て日光浴(てぃだぶい)している所へアメリカ兵がやってきて、「カモン、カモン」と手招きした。おばあさんは自分の名前を呼ばれていると勘違いして「私の名前はカマーです」と返した。
 「ぬーがらカマセ(何か食べさせて)とおなかを見せたら、アメリカ兵は自分が持っていた食事をポケットから出してくれたさ。そして全員命拾いしたさ」と、おばあさん。予期せぬ、ほのぼのとした人間同士の交わりである。
 その話を聞いて私はふと黄金言葉を思い出した。「言い様(よう)ぬあれー 聞(ち)ち様んあん」
 おばあさんはその時の自分の気持ちを素直に話しただけで、「おなかがすいているから食べ物のことしか考えられなかったさ」という。
 おばあさんは時々自分の人生の足跡を話してくれた。「私は明治、大正、昭和、平成の4世代生きているよ。だからあんたがたも頑張って長生きしてよ。だが、うちなーぐち、うちなーぬちむぐくる(沖縄の肝心)忘れたらだめよ。うちなーぐち忘れたら、うやふぁふじ(先祖)を忘れることになるんだよ」
 そう力を込めて話してくれたことが印象深く残っている。
(座間味宗治、沖縄語普及協議会副会長・臨床心理士)