コラム「南風」 夢を語る


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 学校では新1年生の入学式、職場では入社式など希望に胸膨らむ時節である。特に新1年生は入学とともに声を張り上げ、「看護師、サッカー選手、運転手、保育園の先生、パティシエ」などと思い思いの将来の夢を自由に口にしている。

うらやましく思う。もし幼いころの自分だったら、何と答えていただろうと考えてみた。しかし終戦直後であった当時、夢について話をする機会はなかった。もし夢について考えることがあったとしても、お互い口にするようなことはなかった。
 15歳の春、中学校の卒業式の日、私は大勢の友人の前で突然「将来自分は、心の医者になる」と公表したことを記憶している。だが「心の医者」がどのようなものなのか自分でも全く知らない。実に不思議であった。ところがその言葉が脳裏から消えることはなく、暗中模索しながら追い求めていた。そして青年期にアメリカ留学の機会が与えられ、アルコール・薬物依存症を中心とするカウンセリング療法を学び、現在に至っている。
 夢に向かい歩み続け、そしてそれを手にするまでには、多くの苦難や高いハードルを乗り越えなければならない、忍耐力が必要であることを教えられた。
 アメリカの医療施設に勤めていたころ、助けを求めに来た男性がいた。その人は一獲千金を夢見てヨーロッパからアメリカへ渡り、若いうちに大金を稼いだものの、全て快楽のために使い果たしていた。体力は衰え、すでに働くことができない状態だった。その男性の姿を見て私は、沖縄のことわざを思い出した。「銭(ジン)や善(い)い物(むん)ぬ悪い物(やなむん)」(お金は使い方次第で善悪に分かれる)。
 子供たちの、のびのびとした夢が報われるように、平和で明るい社会環境を、われわれ大人が整備していかなくてはならない。
(座間味宗治、沖縄語普及協議会副会長・臨床心理士)