コラム「南風」 ホーおじさん


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 ホー・チ・ミンというと、日本人はベトナムの一都市を思い浮かべる方が多いかもしれないが、ベトナム人は、必ずある一人物を思うはずだ。1945年、9月2日、数百万人の民衆を前に、ベトナム独立宣言を読み上げたベトナム建国の父、その人のことである。

 ハノイの旧市街を歩いていると、いたる所で彼の肖像画を見かける。民家や街角の商店、看板やビルの壁、その肖像画のみを売っている店があるぐらいだ。その旧市街から西へ2、3キロの方角に、バーディン広場がある。その正面にそびえ立つのがホーチミン廟(びょう)である。中にはホー・チ・ミンの遺体がガラスケースに入れられ横たわっており、全国から参拝者が訪れる。それは、今にも起き上がりそうな肌の色艶をしており、旧ソ連の専門家が遺体処置をしたのだそうだ。
 米国との戦いが頂点に達していた69年9月2日、ホー・チ・ミンはこの世を去った。彼の遺言には「遺体は火葬にして、遺灰を三つに分け、北部、中部、南部の人々のために、それぞれの地域の丘陵に埋めてほしい。丘陵には、石碑、銅像を建てず、訪問した人たちが休むことができるような建物、記念に植樹ができるようにしてもらいたい。日が経(た)てば、森林となるだろう」とある。また「戦争で負傷兵となった者、殉職した者の家族で困っている者に生計の道を立てられるようにし、彼らが飢えたり凍えるままに放置してはならない」と。バーディン広場の右手にある木立の奥に、生前の住居が今も残されている。簡素な硬いベッドに机、その上にあるタイプライター以外には何もない。彼の数奇に満ちた人生はここでは書ききれないが、一国の長となってもなお奢(おご)ることなく質素で、国民の事を第一に考えていた彼を、Bac Ho(バック・ホー)ホーおじさんと、人々は敬愛を込めて呼ぶのである。
(金城れい子、民間企業ベトナム事務所勤務)

※注:Bac Hoの「a」はアキュート・アクセント、「o」はサーカムフレックス