コラム「南風」 つくり、紡ぐ


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 私は時々、にわか木工家になる。というのは、夫が木工芸家で、おかげさまで工房を立ち上げ、椅子をつくり続けて22年になる。日々、マイペースで仕事を進める夫であるが、注文に追われて猫の手も借りたい…と思う時、お声がかかる。これが、なかなか楽しい!もちろん、にわか木工家なので、製作のお手伝いであるが。力仕事は絶対ムリなので、もっぱら磨く作業。マスクをして、全身、木くずを浴びながら、集中する時間はすごく良い気分転換になる。その姿は間違いなく、演奏家には見えないだろう…。

 つくるものを決め、材を選び、デザインを考え、愛情をこめて磨く。時間をかけて、ゆっくり丁寧に作品を完成させる、という一連の作業の木工。演奏会に向けて、曲を決め、譜読みをし、地道にコツコツと練習し、感性とエネルギーを時折ぶつけ合いながら納得いくまで練習し、演奏会に臨むという音楽。「工芸と音楽」は相通ずるものがあると思う。
 木工作品は日々、目にするもの、使うもの、触るもの。その家具は日々使うことで、愛着が増し、家族の成長を見守る。音楽は形には残らない。会場で臨場感あふれる生の音のシャワーを浴び、全身で音の持つエネルギーを感じながら、音楽に身を任せ、その世界へ旅することができる。聞き終わって会場を後にする頃には、心にポッと明かりが灯(とも)り、ほんわか温かくなったり、また、エネルギーをもらったりで、明日への活力となるのだろう。
 工芸と音楽。どちらも完成させるまでに、「嘘(うそ)」はなく、自分と向き合い、良いものをつくり、届けたい―。このシンプルな思いで、夫は今日も、椅子をつくり、私は音を紡いでいる。
 そういえば最近、お声がかからないな…。少し心待ちにしている、にわか木工家である。
(新垣伊津子、ヴィオラ奏者)