コラム「南風」 生き抜いて


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 先日、近くの海を眺めていると、部活帰りや地域の子どもたちが水しぶきを上げて戯れ、はしゃいでいた。その姿をカメラに収める観光客もいた。服のまま橋の上から飛び込む子どもたちを、私もドキドキしながら懐かしく見ていた。

 以前、私も子どもたちをこの海でよく泳がせたものだ。親の心配をよそに橋の上から飛び込む様子を、地域の方々が一緒に見守ってくれていた。親も子も地域に支えられ、学び、伸び伸びと育っていた。いじめっこがいたら、地域の大人の大目玉が飛んだものだ。今は、その光景がだんだん失われてきて、大人も子どもの世界も何だかギクシャクしてきている。
 ガマを訪れる修学旅行生の中に、腕に無数の傷のある生徒を見ることがある。いじめなどさまざまな現実を抱え、自分の身体を傷つけることで何とか自分を保とうとするその姿に、心の叫びを感じる。修学旅行に来るのにも勇気がいっただろう。そうした生徒たちを見送る時、私は複雑でやるせない気持ちになる。
 世の中には「賢い」生き方があるかもしれないが、皆がそううまく立ち回れず、もがき、苦しむことは少なくない。大人の社会でも自ら命を絶ってしまう人が増えている。
 他人のことは関係ない、面倒なこと、価値観が違えば、話し合うどころか無視する―。私たちは何か見失っていないだろうか。効率重視の社会では、大切なものを失(な)くしていることにすら気づかずに「数字」にとらわれる。人の心も沖縄の美しい自然も、失ってからでは遅い。知識や学問も人のためになってこそ。世の中の波に乗れずにいる弱者が「生きづらい」社会になってはいけない。
 どんなことがあっても、命を粗末にせず、どうか生きていってほしい。ガマの体験を語り継ぐ私たちが、願うことだ。
(當山菊子、糸数アブチラガマ専属ガイドゆうなの会責任者)