コラム「南風」 終わらない戦争~ベトナム・沖縄~


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 去る4月30日、ハノイでは盛大な花火が打ち上がり、街では華やかなパレードや式典が行われた。今年はベトナム戦争終結から40周年の記念すべき年なのである。

 私も旧市街のビアホイに座り、そのお祭りムードに浸っていた。不意に気配を感じ足元を見ると、私と同年代くらいの男性が片手を出しながら私を見上げていた。金をくれというのだ。ベトナムは日本と異なり、社会保障システムがまだ十分に発達しておらず、老人や身体に障害のある人が物乞いをせざるを得ない状況下にある。路上のカフェや酒場にいると、彼らが近づいてくるのはよくあることで、その日の彼も下半身がなく、首もねじ曲がり、顔面の表情は異形なものであった。
 ベトナム戦争当時、1961年から71年にかけて、約8千万リットルの枯れ葉剤が米軍によって北緯17度線以南に撒(ま)かれたという。ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の隠れ場となる森林の枯死、ゲリラ支配地域の農業基盤である耕作地域の破壊が目的であったといわれる。それに被爆した人は、300万人とも400万人ともいわれ、その子供や孫の世代にもいまだに影響が出ている。
 私がその日出会った男性も、よく旧市街で見かける肩から指が生えている青年も、被爆した人々の子、孫であろう。彼らに対するベトナム政府の援助は微々たるもので、米国からのそれにいたっては皆無であることは周知の事実である。
 近年、沖縄でも米軍がベトナム戦争で使用した枯れ葉剤「エージェント・オレンジ」の主要成分が検出されたドラム缶が大量に発見され、米国のベトナム帰還兵から、沖縄に散布したとの証言があったとも報道されている。
 沖縄でも、ベトナムでも、まだまだ終わらない戦争を見る。
(金城れい子、民間企業ベトナム事務所勤務)