コラム「南風」 出会いの不思議と感謝


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 「月(ちち)や成(な)いるぐとぅや成(ねぇ)らん」(光陰矢の如し)。
 南風への出筆依頼を受けたのが昨年、2014年の11月。6カ月の長い期間、月2回の原稿が書けるだろうかと不安も感じたが、時は無言のまま過ぎていった。長いようで短い時の流れの中で、無から有を生む「執筆訓練」の機会を与えられたことに感謝している。

 私のコラムの多くは、地理的に遠く離れ、時間的にも過去のものとなったアメリカでの生活体験を中心に書きつづってきた。臨床現場でのアルコール、薬物依存症を中心としたカウンセリングを通し、個々人の悩みを受け止め、個別に問題を分析し解決する手助けについても記した。文化・時間を超えて、人間存在の普遍的な問題として感じているからだ。
 振り返ると、臨床現場で向き合った相手は、すべて大柄のアメリカ人、しかも一般的には社会から敬遠され怖がられている、アルコールや薬物依存症の人たちだった。初対面の時の彼らの表情は、瞬(まばた)きもないほどに厳しく、沈黙が続いていたが、面接を重ねるうちに意思の疎通と信頼関係が芽生え、静かに話し合えるようになった。
 それにしても、初対面の時、小柄な私を見て彼らはどう思ったのかと、考えることがある。言葉や生活習慣の違い、さらには肉体的にも小柄な私がアメリカ文化の中で経験したさまざまな体験が、私の人生の大きな財産になっていることを思うと不思議である。
 「月日(ちちひ)ぬ走(はい)や 馬(うま)ぬ走(はい)」(月日は馬が走るように過ぎていく)。
 随所に、うちなーぐちを書き添え、紹介できたことも実に嬉(うれ)しいことだった。「黄金言葉」は先人が生み出した人間行動の指標、道徳教育の手本とも言える貴重な文化遺産である。いっぺーにふぇやいびたん。
(座間味宗治、沖縄語普及協議会副会長・臨床心理士)