コラム「南風」 死別の悲しみに寄り添う


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 人生は獲得と喪失の繰り返しだ。生まれてからずっと、何かを獲得しては、それとは別の何かを手離さざるを得ない。

 めでたい祝いごとのようなライフイベントにも、実は大きな喪失の側面がある。大学に合格して地元を離れるのも喪失、就職すれば学生生活の気軽さを、結婚すれば独り身の自由を失う。出産すれば子を授かった喜びに浸りつつも、自分の時間を全面的に子の世話に費やせねばならない。これも喪失と捉えられる。図らずも離婚や失業もあるかもしれない。老化や病気により身体的機能を失うのも、大きな喪失となる。これら喪失による苦悩を「グリーフ」(喪失悲嘆)という。
 そして命ある者との出会いは、「死別」という喪失を迎える。これが家族や親しい者との死別であれば生活は一変し、心がグリーフに圧倒される。共に暮らした当たり前のような日々は戻らず、慰められようのない、辛(つら)く、耐えがたい時期を過ごさざるを得ない。誰もがいつかは経験する、万人に共通のテーマである。
 このようなグリーフからの回復については、一般に「立ち直る」「乗り越える」などと言われるが、当事者の言葉にすると「慣れた」「通り抜けた」など、経験者ならではの表現をされることが多い。
 グリーフワークおきなわ(GWO)は2008年4月、特に死別悲嘆にある方々のグリーフを理解し、学び合い、支え合っていくことを目的に設立された。グリーフに向き合いつつも、その人があらためて自分らしく過ごせるようになるために、GWOはささやかな活動を続けている。
 グリーフは誰でも避けて通れない厳しい経験であるにもかかわらず、話題として取り上げられることが少ない。だからこそ、グリーフにある方も支える側も、グリーフを意味あるものとして共に考えていきたい。
(関谷綾子、グリーフワークおきなわ)