コラム「南風」 娘を抱きしめた時


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 私には「重症心身障害児」と言われる娘がいる。知的にも身体にも重い障がいがあり、一人では起き上がることもできない。生活の全てに人の手が必要であり、呼吸すら機械に頼らなければならない娘だ。娘が生まれたころ、社会はまだ障害児への関心が低く「障害児の子育て支援」など私たちには届いていなかった。家族で、頑張るしかなかった。

 障害児の親であるという現実を受け入れられないまま「子育て」が始まる。マニュアルや教えてくれる人がいるわけでもない。自分の心と格闘しながら子どもの成長や家族のことを考える。孤独や不安、戸惑いや怒りなどマイナス感情が集まると、人は自分を守るために「心と体が離れ、心が無の世界へ飛んで行ってしまう」と聞いたことがあった。まさに私はその状態だった。自分自身生きているのか死んでいるのか分からず、考えても考えても、行き着くのはわが子の死。そんなこと望んでいないのに。母親失格の日々だった。
 長期入院生活が続いたある日、ダウン症児の母から「天国の特別な子ども」という「詩」を紹介された。「天から授かった特別な子ども」「自分たちに求められている特別な役割を」の言葉が心に響いた。使命感のようなものが湧いてきた。「私にできること…」。無意識に浮かんだ言葉に体が軽くなり、娘を抱きしめていた。なぜか初めて抱いたような感触だった。愛(いと)おしくて「守りたい」と思った。それから、少しずつ私自身が変わった。娘の服を入院服からヒマワリ模様のワンピースに変え、頬(ほお)のテープにネコのひげをかき、できるだけ抱っこして日光浴をするようになった。
 あの時、あの母に出会ったことは偶然でないような気がする。ほんの小さな出会いにもメッセージが託されている。それは「身近にある宝物」だと思う。
(名幸啓子、障害児サポートハウスohana代表理事)