コラム「南風」 アメリカの一家


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 憧れの米国ワシントン州に語学留学したのは21歳の時。大学付属のESL(英語が第2外国語の学生のためのプログラム)に通い、さまざまな国、人種、宗教の人々と共に学びました。日本という島国の、そのまた小さな島出身の私には刺激的なことばかりでした。

 講師が飲食しながら講義。英語が下手でも学生の授業態度が積極的で、よく発言すること。番外編では、高級車を乗り回す中近東出身の学生に「4番目の妻にならないか」(失礼な!)と言われたこともあり、驚きの毎日でした。
 最初の2カ月は寮で暮らし、残り10カ月は学校の交流イベントで仲良くなった家族の家で、ホームステイしました。
 一家の家族構成は父親が航空会社のエンジニアで、母親は料理と裁縫が得意な専業主婦。息子は13歳の中学生という3人家族でした。私の英語力を伸ばしてやりたい、アメリカ文化を伝えたい、と「大草原の小さな家」を読み聞かせてくれたり、週末はキャンプに連れて行ってくれたりと、本当にいいご家族でした。
 彼らの子育てにおいて印象的なことは、芝刈りや皿洗いなど、勉強やスポーツだけでなく、子どもにも生活していく上での役割を持たせていたこと。学校へ行く子どもに「先生の話をよく聞いて」ではなく「いっぱい発言しておいで」と声を掛けていたこと。テレビはほとんどついておらず、夕食後から寝る前まで、好きな飲み物を手によく話し合っていたこと。そして父親は朝5時に出勤し、夕方4時にはきっちり帰宅。「残業しないためにランチも机で簡単に済ませる」と語っていたことを思い出します。
 海外で暮らしたことで多様な価値観、行動様式を学んだ一方で、家族や故郷・沖縄の良さもあらためて客観視でき、私の思考回路に影響を与えた1年であったことは間違いありません。
(名嘉村裕子、りゅうせきビジネスサービス代表取締役社長)