コラム「南風」 君の人生は君のもの


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 中学校に上がった僕が、ぱたりと学校へ行かなくなったとき、先生はこう言った。「武藤、黙って学校に来い。俺の言うとおりにしておけばよかったと、後で必ず後悔するぞ」と。

 あれから20年。結局中学校へは戻らなかった僕が、もし、あの先生と再会できたなら、こう伝えるだろう。「後悔なんか、これっぽっちもしていません」と。
 今だから分かる。先生に従って、しぶしぶ中学校へ戻り、しぶしぶ高校へ進学していたとしたら、僕は、後々の人生でうまくいかないことがあるたび、その先生に責任をなすりつけ、後悔していただろう。「ああ、あのとき、先生に従わず、自分の心が決めた道を進んでいたら、どんな人生が待っていたのだろうか」と。
 誤解しないでほしい。僕は、「学校へ行くな」と言っているわけでも、「先生に従うな」と言っているわけでもない。ただ、先生、親、先輩など、だれかの言いなりになって生き、結果、将来が自分の思い描くものにならなかったとき、それをそいつのせいにするような、つまらない人生を送るなと言っているだけだ。
 僕自身、中学校へ行かなかったことで、苦労したこともたくさんあった。けれど、それは自分の意思で決断したことだ。勝手に腐ったのは、自分。ほかの誰のせいでもない。一から十まで、自分自身の責任によって起こったことなのだ。
 人間は、「人生で起こることは、全て自分自身の責任によって起こること」と認識して、初めて自立し、成長の階段を登り始めるのだと、僕は考えている。
 確かに、劣悪な環境で育ち、歪(ゆが)んでいく子どもも存在する。しかし、環境のせいにする限り、一時の慰めは得られても、未来が変わることは永久にない。
 厳しい言い方になったが、現実を変えるのが教育者だと信じるからこそ、僕は、あえて、こう伝える。
(武藤杜夫、法務省沖縄少年院法務教官)