コラム「南風」 沖縄ラグビーの歴史・前半


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 「沖縄最初のラグビー試合」をご存じだろうか。それは、54年前に遡る。日本最初の試合から114年が経っていた。

 1961年10月、北海道大学から「比較解剖学の講義のため」工藤規雄教授が琉球大学に招聘(しょうへい)されたことが始まりだ。学生の気質を見抜いたラグビーマンの教授は「彼らにはもっとスポーツが必要」と大学に提案。すると、首尾よく「それならラグビーを」となり、沖縄にラグビーが誕生することとなった。思いがけず始まった工藤教授の指導が、歴史的な一歩になった。そして同年の12月11日、授業の総仕上げに行われた1、2年生の対抗試合が冒頭の試合である。
 その試合が新聞報道された翌日「県外でラグビーを経験した沖縄在住者」が次々に集まってきた。「沖縄でもラグビーができるのか」。男たちの喜々とした表情が目に浮かぶ。これに琉球大学OBを交え「全沖縄」が結成され、「全琉球大学」と対戦。記録と記憶に残すべき2連戦である。この試合に出場した選手の中から、沖縄ラグビーの発展に貢献する多くの人材が育っていった。
 その後協会設立の機運が高まり、68年2月17日、沖縄県ラグビーフットボール協会が設立され、会長に小橋川寛氏、幹事長に外間政太郎氏が就任した。
 そして、復帰翌年の73年の若夏国体へ向けた強化が始まった。県外との交流が限られ、練習方法も手探りだったが「協会創立30周年記念誌」にある当時の指導者や選手たちの奮闘ぶりは「いかなる逆境、悲運にあっても、希望だけは失ってはならない」という市村清氏(リコー創業者)の言葉と重なる。決して諦めない前向きな姿勢と創意工夫によって、国体本番では一定の成果を収めた。運営面においても強固なスクラムで成功に導き、その良き伝統は今に引き継がれている。
(安村光滋、県ラグビーフットボール協会理事長)