コラム「南風」 信じるということ


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 法務教官の仕事とは何か。悩んだ数だけ見つかった、多くの答えのうちの一つが「子どもの可能性を信じる」ということだ。
 ある意味、大人から見放され、社会から見切りをつけられた子どもたち。周囲から疎まれ、居場所を失(な)くし、少年院へ迷い込んだ彼らを憐(あわ)れむ者もいるが、全くの見当違いであると僕は言いたい。

 少年院において彼らと共に生活し、落ち着いた環境の下で一人ひとりと向き合ってみると、初めて見えてくるものがある。同世代の若者にはない、個性的な「発想力」。思いついたことを即座に行動へ移す「実行力」。叱られても、罵(ののし)られても後戻りしない「継続力」。不良少年特有のこれらの性質が、全て、成功者となるための強みであることは、周知の事実だ。
 実際、僕の仲間うちには、社会的に大成功している元不良少年が大勢いる。一度どん底を味わい、そこからはい上がった彼らは、皆、勝負強く、何より、苦しみもがいている他者の気持ちを理解できる、素晴らしい人間に成長している。
 そのことを知っているからこそ、入院してきた子どもたちを卑屈にさせるような指導は決してしない。「お前には、一流になる資質がある。一流になれ。一流になって、お前を笑った大人たちを見返してやれ」と、僕は、初めからそう指導する。そして、資質を開花させるための教育を、日々、子どもたちの魂に打ち込んでいる。
 信じるの「信」は、「人」と「言」という二つの文字から成り立っていることをご存知だろうか。
 子どもを信じる勇気があるならば、黙っているのではなく声を上げるのだ。何も難しいことはない。まずは「大丈夫」の一言からでよい。誠意を込めて言葉を掛け続けたとき、相手の魂の奥底に眠る良心は、必ず、目を覚ます。
(武藤杜夫、法務省沖縄少年院法務教官)