コラム「南風」 沖縄ラグビーの歴史・後半


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 若夏国体以降、沖縄のラグビーは大学から高校、そしてクラブチームと徐々に裾野(すその)を広げていった。黎明(れいめい)期の「研究熱心で情熱あふれる指導者」の系譜は後輩へと受け継がれ、普及と強化の両面で進化をみせた。そして迎えた1987年の海邦国体。さまざまなバックアップを受け、選手の発掘・強化が進んだ。

県外との交流も活発になり、指導者や選手のレベルアップとネットワーク構築に多くの恩恵をもたらした。
 しかし、数年間続いた充実期の後、沖縄のラグビーは徐々に停滞していき、「好調のときこそ次の準備をせよ」(シャープ2代目社長・佐伯旭)という教訓を得ることになった。幸いだったのは、停滞期においても指導者の向上心は萎(な)えることなく、雌伏の期間を過ごしたことだろう。
 復活の兆しが見えたのは、ジュニア層への普及が一つのきっかけとなった。特に「タグラグビー」はタックルなどのコンタクトがなく、男女一緒に安全なプレーができることもあって人気が出た。同じ頃に「KBC学園グループ」の冠大会も始まり、小中高生が楕円(だえん)球に親しむ機会が増えた。それにより、小学校から中学、高校とラグビーを継続できる環境が生まれ、日本代表や国内最高レベルのトップリーグで活躍する選手も育っていった。同時に、各世代が県外大会で好成績を収めるようになった。
 さて、3年後の2018年には協会創立50周年を迎える。沖縄のラグビーをさらに発展させていくためには、新風を吹き込むと同時に、これまでの歴史を次の世代に伝えていく必要がある。アメリカの経営学者フィリップ・コトラーも「未来を見通すためには、歴史を知らなければなりません」と言っている。沖縄ラグビーの恩人たちの足跡にあらためて敬意を表すとともに、さらなる発展を願い情熱を注いでいきたい。
(安村光滋、県ラグビーフットボール協会理事長)