コラム「南風」 ゆるし、ゆるされて


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 カウンセリング活動をしていると、クライアントがもつ問題には「ゆるせない」ものがあることに気づかされる。ゆるせない人、ゆるせない状況、ゆるせない自分である。グリーフ(死別悲嘆)の感情のなかでも、「自責」や「後悔」は遺(のこ)された人の誰もがもつ痛みだ。

 家族は愛しあい、また傷つけあう。言いたいことを遠慮なく発してしまうので、相手に深く残る傷を負わせてしまうことがある。傷つけた相手がどう感じるのか大方わかっているので、その分自分もまた傷つく。心にささったままの傷は、日々疼(うず)いて互いの関係に影をおとす。そんな相手と思いがけず死別となったら、罪責感にうなされてしまう。ゆるせぬものに抵抗し、ゆるされないことに葛藤する。亡くした人をゆるせないのはきついことだが、さらにきついのは亡くなった人にゆるされないまま生きることだ。
 ゆるしは愛の原点である。故人とのあいだにどのような過去があろうとも、ゆるしゆるされた関係を認めなければ愛は始まらない。
 悔いのないよう愛することは、死別に備えるためではない。後悔のない完全な人なんていないし、完璧な人生もない。ゆるしあえる関係を育んでおくことこそが重要なのだ。責めながら生きるのも、責められ続けて生きるのもきつい。心にとがめることは、日々の対話によって解決する勇気が必要だ。互いに向きあい、「ごめんなさい」と「ありがとう」の二言があれば解放される。解放後の自由はさらに豊かな愛を育むであろう。愛する人と、きょうをていねいに生きていきたい。
 故人は、遺された人がいつまでも悔いることを喜ばない。愛された経験をもとに、自由な日々を生きていこう。故人はすべてをゆるし手放して逝った。あなたの自分らしい生き方を応援するに決まっている。
(関谷綾子、グリーフワークおきなわ)