コラム「南風」 宮古島のラグビー


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 大学を卒業した1989年、宮古水産高校に体育教師として赴任した。バッグに楕円球を忍ばせ、ラグビーとは無縁の島へ降り立った。初日から「オトーリ」の洗礼を受け、泡盛と人情に酔いしれる3年間が始まった。

 生徒の大半を占める男子の定番スタイルは、深いソリ込みの入ったリーゼントに、白い革ベルトと白い革靴。そんな高校生らしからぬ身なりに、22歳の青年教師の血が騒いだのは言うまでもない。「彼らにはラグビーが必要だ」。そう直感し、すぐに授業に取り入れた。「ボールを持ったら前へ走れ」「相手が来たらタックルだ」。闘争本能をかき立てられた彼らは、「んむっし」「ずみ」など、耳慣れない言葉を連発して走り回った。私も一緒に走り、タックルしているうちに、自然と心が通じ合うようになっていた。
 そして91年2月9日、宮古島で「初」のラグビー競技会の日。宮古にある5つの高校は、この大会に向けて授業で取り組んできた。短い準備期間だったが、試合内容はラグビーの醍醐味(だいごみ)を感じさせる素晴らしいものだった。宮古ラグビーの源点となった歴史的なこの日は、私にとっても特別な1日となった。3年の任期を終えた私は、泡盛の入ったバッグを抱え「花笠空港」を後にした。
 島にはその後もラグビー経験者が赴任して情熱を注ぎ続け、5年前には宮古高校が県大会で準優勝するまでに成長した。「離島のハンデ」という言葉を言い訳にせず、できることを精いっぱいやってきた結果だろう。その快挙の陰には、社会人ラグビーチーム「宮古クラブ」の存在がある。彼らは、ラグビー発展と人材育成のため、グラウンド内外でのサポートに愛情を注ぐ。そんな「ラグビーファミリー」の絆に、県内外から多くのラグビー愛好家が惹(ひ)きつけられている。
(安村光滋、県ラグビーフットボール協会理事長)