コラム「南風」 レフェリーへの敬意


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 ラグビー誕生には諸説あるが、一番有名なのは「エリス少年がフットボールの試合中に、ルールを無視してボールを持って走った」というものだろう。これが1823年8月24日で、今では「ラグビーの日」とされている。

その頃の試合には、統一したルールやレフェリーは存在せず、困った時にはキャプテン同士が話し合って決めていた。当然、個々のフェアプレー精神がなければ試合は成り立たず、強い規範意識が求められた。時代を経て、両チームが信頼できる人に判定を委ねるようになりレフェリーが誕生するが、その後も「レフェリーの目を盗んで反則する」のではなく「反則しないことを前提」にプレーされてきた。
 試合をレフェリーに委ねる以上、その人を信頼し、判定を尊重するのは当然の事。対戦相手やレフェリーへの敬意は、ラグビーがずっと大切にしてきた精神だ。しかし残念なことに、試合中の選手や指導者から、レフェリーへの批判や罵声を見聞きすることがある。そんな声がグラウンドに響くと、純粋に試合を楽しみたいファンも不快になるだろう。どんなに優秀な選手や指導者であったとしても、試合中にそのような行為があったとすれば、尊敬を得ることはない。レフリングに疑問があれば、試合後に冷静な意見交換をすればよい。それがフェアで、双方のレベルアップにもなる。
 選手や指導者が最高の準備をして試合に臨んでも、人間である以上は何らかのミスはある。それはレフェリーも同様である。そのミスジャッジが、たとえ試合結果を左右する事になったとしても、全てを受け入れなければならない。
 ラグビーが世界中で愛され続けているのは、競技の持つ面白さだけではない。その歴史的背景からくるラグビー文化や、精神にも魅了されているからである。
(安村光滋、県ラグビーフットボール協会理事長)