コラム「南風」 小さな悲しみから


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 例えば、幼稚園で飼っていた金魚が死んでしまったら―。それまで世話をしてきた金魚が動かなくなったのを見るのは、幼い者にとって不思議な経験であるはずだ。あんなに元気で泳いでいたのに、きれいな尾びれが色を失い、ぴくりともしなくなるなんて。

 愛着のある生き物であれば、そのままゴミ箱行きにはしないだろう。先生は、みんなで付けた金魚の名前を呼び、さよならを告げるお別れの時間をもってほしい。柔らかな布にのせた金魚を手のひらにのせ、園児それぞれに思い出を分かちあってもらうのだ。「水槽のお掃除のとき、びっくりしていたよ」「エサ係をみんながやりたがったね」「朝の光にうろこがキラキラしてきれいだった。寂しい~」。 死と死別を現実のものとして感じたままを語り合い、しっかりと悲しみを味わいつくす時間を共有する。金魚を「さよなら」と手放しながらも、そこから得た喪失体験を自然に学び合う。園児にとって、それは死別悲嘆の準備教育(グリーフエデュケーション)になる。
 子どもは、死と死別について、大人には思いもつかない不安や恐怖、怒りや罪責感などに駆られやすい。グリーフを抱えた子どもには、正しい知識を与えながら、安心して過ごせる温かい環境を整えたい。特に感情表現の手段として、さまざまな活動や遊びの機会をもうけてほしい。
 このような機会を発達段階に応じて積み重ねていくことができれば、大切な人を亡くしたときにも、悲しみの気持ちにどう向きあえばよいのかが身につく。ペットの死、友だちの引っ越しや転校、祖父母の死…。成長するにしたがって、失いゆくことも増える。共に過ごした日々を丁寧に振り返りつつ、命の尊さや互いの交わりを、あらためて感謝のうちに大切に感じることができるようにしてやりたい。
(関谷綾子、グリーフワークおきなわ)