コラム「南風」 不自由の中で見えてきた


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 先月中旬、足を怪我(けが)しました。全治1カ月。完治への道のりはまだ半分。不自由な生活が続いています。しかし、怪我をして幾つか気づくことがありました。まず、横断歩道を時間内に渡り切れないということ。国道58号なら、2車線渡ったところで赤になり足止め。青になるのを待って残り半分を渡るという具合です。お年寄りや足が不自由な方のご苦労の一端が分かりました。

 次に路線バス。最近は高齢者や児童の乗り降りがスムーズにできるよう床が低い、ノンステップバスが増えてきました。このバスが本当に優しい。間口も広いので、楽に乗れてスムーズに降りられる。この前など、わざわざノンステップバスが来るのを待ったくらいです。三つめの気づき。無駄が多かったということ。歩かなくて済むよう、効率を考えて業務を段取りするようになりましたが、これまでの必要のない動きが見えてきたのです。あらためて「段取り」の大切さを痛感しています。
 さて、「段取り」は時代遅れの考え方だと豪語した方がいました。今や旬の食べ物は減り、コンビニに行けばいつでも欲しい物が手に入る。スマホさえあれば、大抵のことができてしまう。だから段取りなど不要だと言うのです。果たしてそうでしょうか。段取る力を損なえばどうなるか、前滋賀県知事の嘉田由紀子さんはこう述べています。「自分が段取りしなくても、社会がみんな段取りしてくれる。自分が手順を捨て、行政に、社会に、専門家に手順を任せすぎる。自分でできないから、逆に社会不安につながっているのではないのか」。言い得て妙です。便利さを否定はしませんが、その便利さが本来私たちが持っている大事な何かを奪っていないか、不安の原因になっていないか。考えてみる必要がありそうです。
(大城勝太、エフエム沖縄アナウンサー)