コラム「南風」 共に育つ父親と母親


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 子育ての中心は大抵、母親であるためか、父親のための情報は少ない。障がい児を抱える父親となるとさらに無く、戸惑いながらも試行錯誤するしかない。妻には不満がくすぶり、「父親としての自覚」「夫としての関わり」を求める声は多い。父親に求められる役割の第一は「経済的に家族を支える」、続いて「母親のサポート」。サポートは、家庭によりさまざまだろうが、一番多いのは学校の送迎だ。

 私の夫は仕事の関係で送迎が難しいため、夕食を担当し、弁当作りも補ってくれている。最初は、見た目などにこだわらず、うれしそうに娘にお弁当を持たせていた。「ありがとう、おいしかった」の感謝の言葉に充実感を味わっているようだった。しかしある日、弁当箱に詰める時になって、私を呼び、「かわいく入れてくれ」と小さな声でぽつり。それも、なぜか下を向いたまま。「どうしたの」と尋ねると、私と娘とのやり取りを聞いていたらしい。「お母さんが作って…」の娘の言葉に、ショックを受けたとのことだった。皿に盛りつけるのと小さな弁当箱に詰めるのとでは大違い。夫には予想以上に難しいものだったようだ。
 でもそれ以上に、私にコツを聞くことが何となく嫌だったらしい。些細(ささい)なことを聞くのは、自分の弱さをさらしているようで言葉に出せず、悶々(もんもん)としていたと話してくれた。私も同じだ。夫の言葉に「孤独」を感じたり、逆に「前に進む力」になったりもする。愛の言葉よりも、「母親」として、毎日の努力を認めた上で感謝の言葉がほしい。それは、夫も同じだったのだ。
 この出来事で改めて気付いた。子どもに障がいがあればなおさら、夫婦の会話や、共に育つ過程が重要なのだ。それが子どもに必要な父親と母親の姿であり、子どもたちの笑顔につながる夫婦の努力の証だと思う。
(名幸啓子、障害児サポートハウスohana代表理事)