コラム「南風」 美らミカン


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 小さい頃、山原に住む僕の親戚(愛称ヤンバルおばさん)から、ときどき美味(おい)しいミカンをいただきました。シークワーサーやタンカンのほか、運動会シーズンにはカーブチーです。山盛りのミカンも、大人数のわが家ではいつもあっという間になくなりました。
 僕は那覇生まれ那覇育ちですが、両親は大宜味村出身です。北部へのドライブは家族みんな大好きで、山原の自然や作物はとても身近な存在でした。大人になって、柑橘(かんきつ)素材のモノ作りに心が弾むのは、子供時代の楽しい思い出と重なるからかもしれません。
 さて、商品開発がきっかけで、あらためて沖縄のミカンについて調べてみると、さまざまな品種や呼称があったことに驚かされます。たまに耳にするオートー、タロガヨのほか、ウンゾーキー、インクニブ、フスブター、カービシー、マヤーガーなど、ユニークな名前が次々と出てきます。
 以前、農家の長老から、昔は30種以上のミカンが栽培され、山原はミカンの宝庫だったという話を聞いたことがありました。一体どんな名前でどんなミカンだったのでしょう。色・味・香り・大きさ・来歴…想(おも)いを巡らすだけでワクワクしてきます。現在どれほどの在来種が残っているのか分かりませんが、願わくば僕たちの島ミカンが絶滅することなく、生きながらえることを祈りたい心境です。なぜなら「多様性の復活」が、将来的に県産ミカン全体のブランド力を高めてくれる気がするからです。
 表舞台から消えていった古き時代の柑橘類も、あらためて衆知を集めて活用法を探れば、果実それぞれの物語と隠れた魅力が見えてくるかもしれません。仮に何の取りえもない柑橘だとしても、「多様性そのものが付加価値」という視点に立てば、そこにあるだけで全てが「美らミカン」、島の宝なのです。
(金城幸隆、オキネシア代表取締役社長)