コラム「南風」 甦れ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「先生、更生って何ですか」少年院の子どもたちから、よく受ける質問だ。
 そんなとき、僕は「お前は何だと思う」と聞き返す。すると、不意を突かれた子どもは大概固まってしまう。そして、僕が、笑いをこらえながら「更生が何か分からない人が、更生できるの」と付け加えると、頭を抱えてしまう。返ってくる答えは十人十色だが、おおむね「善い方向に変わること」といった内容だ。

 さて、更生という文字は、ひとつになると「甦」という文字になる。更生とは、甦(よみがえ)ること。結論から言うと、それが僕の考えだ。
 では、一体、何を甦らせるのか。一言で言うなら「勇気」である。善い方向に変われるか否かも、結局は、己の良心に従う勇気を出せるか否かによる。
 よく、勇気がある人、ない人、という言い回しを耳にするが、そんな違いは存在しないと僕は思う。勇気は、皆が、生まれながらにして持ち合わせている。ただ、出す習慣があるか、ないか。違いはそれだけだ。
 子どもの頃、補助輪を外した自転車に初めて乗ったときのことを思い出してほしい。何回も転んで泣いたけれど、そのたびに立ち上がってサドルにまたがったはずだ。もし、子どもたちがそこで諦めていたら、世の中は、補助輪付きの自転車に乗った大人たちであふれていることだろう。
 人間は、本来、皆が、勇気あふれる挑戦者だ。しかし、大人になる過程の失敗体験によって、勇気を出す習慣が失われていくのである。だから、もう一度、魂の奥底から甦らせるのだ。
 正直に言うと、僕は、この新聞連載が怖い。たまらなく怖い。失敗したくないからだ。恥をかきたくないからだ。けれど「勇気を甦らせろ」と子どもたちに伝えている以上、まずは僕自身に挑戦の責任がある。
 だから、見ておけよ。僕は、絶対に逃げない。
(武藤杜夫、法務省沖縄少年院法務教官)