広島平和記念公園の設計にこめられた丹下健三さんの思い<茂木健一郎のニュース探求>


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 茂木健一郎さん(撮影・佐藤優樹)

 先週、広島大学の授業のために訪れた広島。平和記念公園に行くと、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)のための準備が始まっていた。植え込みを刈ってきれいに整えているスタッフや、掃除をするボランティアの姿も見られた。

 以前、丹下健三さんの建築の魅力を探るNHKの番組で、丹下さんが設計を手がけた平和記念公園を取材したことがある。旧制広島高校で学ぶなど、広島と深い縁があった丹下さん。原爆の惨禍から復興に向かう広島の象徴となる空間の設計には、並々ならぬ思いがあったことと思う。

 平和記念資料館は、1階が広い吹き抜け(ピロティ)の構造になっている。そこを通る時、まるで寺社の門をくぐっているようだと感じた。

 ピロティに立つと、目の前に原爆死没者慰霊碑のアーチがあり、その向こうに原爆ドームが見える。平和大通りから平和記念資料館、そして原爆ドームへの視線を遮らないような設計にしたことに、丹下さんの深い思想性を感じる。

 人間の脳にとって建築は不思議な作用をする。設計者の意図があまり強く出てしまうと、その個性と対峙(たいじ)しているような気持ちになる。かえって、それとは気づかないようなかたちで配慮されている方が、じんわりと心にしみ込んでいくメッセージとなる。

 NHK番組の取材の際に、平和記念資料館から原爆死没者慰霊碑に至る広い道に、それとは気づかないくらい小さな傾斜がついていることを知った。そう言われてみれば、かすかな傾きがある。もっとも、多くの人はそれを意識しないで訪れていることだろう。

 繊細な傾斜があることで、自然に、私たちの心は原爆死没者慰霊碑のアーチ、そしてその向こうにある原爆ドームへと向かう。まるで少し体を傾けて祈っているような、そんな気持ちになる。

 丹下さんは、世界的な彫刻家のイサム・ノグチさんといろいろと議論する中で設計を考えていったらしい。繊細な傾斜も、ノグチさんとのやりとりの中で生まれたアイデアであるとも聞く。そのノグチさんは、平和記念公園への導線となる西平和大橋、平和大橋の欄干のデザインに携わり、今日までその足跡が残っている。

 一般に公園というのは、人々の思いが集まるところだと思う。児童公園には、そこで遊ぶ子どもたち、そしてご家族の気持ちが込められている。広島の平和記念公園には、丹下さん、ノグチさん、そしてたくさんの広島の方々の思いが宿っている。

 私が訪れたのはG7広島サミットまで1週間となった日の朝。平和記念公園には、すでに普段より多くの警察関係者の姿が見られた。全国から応援にかけつけているらしく、各地の警察の名前が入った制服からは、緊張感と使命感が伝わってきた。

 願わくば、ここに集う世界各国の首脳たちが、原爆の惨禍に深く思いを致し、二度とそのような過ちが繰り返されないように決意を固めてほしいものだと思う。G7広島サミットが有意義な会合になることに期待したい。

 ところで、丹下さんの建築は各地にあるけれども、西新宿にある東京都庁舎はその中でも普段から親しみがある建物である。

 NHKの番組で都庁を取材した時、意外な秘密を知った。都庁舎から都議会に至る空間は、本来、ヨーロッパにおいてしばしば見られる市庁舎前広場のようなものとして構想されていたというのである。

 丹下さんの理想としては、都庁舎の前に広場があり、そこから都議会へとつながるかたちを思い描いていたのだという、しかし、実用的な意味から都庁舎の前に道路がつくられたので、その通りにはならなかった。

 確かに、都庁舎から都議会の間を道路が遮ることなく、人々がゆったりと集う広場があったとしたら、今とは随分と違った印象になっていたかもしれないと思う。

 建築家にとって、設計とは常に理想と現実の間の妥協なのだろう。広島の平和記念公園の設計においても、当初考えられていたノグチさんによる原爆死没者慰霊碑が実現せず、丹下さんが原案の精神を生かして再設計したとも聞く。

 生きるとは、結局、現実と理想の間で格闘すること。G7広島サミットに集う首脳たちも、厳しい現実に向き合いつつも、世界の繁栄と平和に向けた理想を忘れないでいてほしいものだ。(茂木健一郎 隔週木曜更新)

 ☆もぎ・けんいちろう 脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。1962年東京都生まれ。東京大学大学院物理学専攻博士課程修了。クオリア(感覚の持つ質感)をキーワードに脳と心を研究。新聞や雑誌、テレビ、講演などで幅広く活躍している。著書に「脳とクオリア」「脳と仮想」(小林秀雄賞)など多数。