犠牲者1484人に平和の誓い 対馬丸撃沈76年の慰霊祭、生存者ら30人出席し追悼


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「対馬丸」で犠牲になったみ霊に焼香し、めい福を祈る遺族ら=22日午前10時37分、那覇市若狭・小桜の塔

太平洋戦争中の1944年、児童や一般の疎開者を乗せた対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、22日で76年を迎えた。対馬丸記念会が同日午前10時から、那覇市若狭の旭ケ丘公園にある小桜の塔で慰霊祭を開いた。新型コロナウイルスの影響で例年より規模を縮小して開催し、生存者や遺族ら約30人が出席。船の汽笛の音が流れる中、犠牲となった1484人に祈り、平和を願った。

 生存者で家族9人を亡くした遺族でもある対馬丸記念会の高良政勝理事長(80)は年々、関係者が少なくなる中で規模を縮小して慰霊祭を開催したことに「犠牲者の皆さんどうぞご理解ください」と語りかけた。

 対馬丸記念館はは29日まで臨時休館中だが、ことしは新たに犠牲者9人の遺影が掲示された。

 対馬丸は国民学校の児童や一般の疎開者1661人を含む1788人を乗せ、1944年8月21日、那覇港から長崎に向けて出港。翌22日午後10時12分、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、11分後の同23分に沈没した。【琉球新報電子版】